『報ステ』に悔いなし…古舘伊知郎が“自分の悪”を感じながら喋るワケ
「誰しも、自分は良い人間だと思いたい。でも、良い人の中にも悪がたくさんある。逆に、悪い人の中にも善がある。まず他人のことを言う前に、自分の中の悪を感じないといけない。たとえば、『報道ステーション』で〈シリアの内戦で550人が亡くなりました。とんでもないことです〉と堂々と言っていた時、遠い場所で起きた出来事に“美しく怒っている自分”を発見するわけです。本気で怒ってるんだけど、番組が終わったら、スタッフと一緒にワインを飲んで、ストレス解消してるんじゃないの? と考えると、自分の悪がわかる。ああ、悪だなあって……。『トーキングブルース』をずっと続けられたから、気付けたことでしたね」
人間の底辺には悲しみが滲んでいる。歌にブルースがあるように、喋りにもブルースがある――。 そんな想いを胸に、古舘伊知郎は1988年にトークライブ『トーキングブルース』を始めた。以来、2003年までライフワークとして続け、『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスター就任で一度は遠ざかったものの、2014年に復活。昨年8月、6年ぶりに開催するも、新型コロナウイルスの影響で無観客だった。
「お客さんがいれば表情を見ながら、間を置いて喋ったり、次の話に行けたりする。でも、無観客だと話し終わっても、『次はなにを喋るかと言えばさあ』など不要な言葉を挟んでしまい、キリキリ舞いになってしまいました」 5月13日に『古舘伊知郎のトーキングブルース-無観客へのリベンジ-』を配信する。イベントを決めた時、緊急事態宣言は出ていなかったが、敢えて無観客を選んだ。
「またコロナの波が来ると思っていたので、一発やらざるを得ないなと。喋りたい一心ですので、無観客でも有観客でも聞いてもらえる人がいれば、とにかく開催したい。今回は、妄想で空席の椅子に1人座らせます。自分の脳を錯覚させて、余計な喋りは排除したい」
自分の中にある「悪」を見つめて
『トーキングブルース』では、悲しみとは何かを自問自答し続けてきた。1991年には42歳で他界した姉について、約1時間に渡って語り尽くした。 「数字で割り切れないところに、人間の悲しみがある。だから、〈550人亡くなった〉と数字で人の死を包むことに怒りを覚える。だって、ひとり一人の人生に物語があるわけですから。そのニュースを読む自分の中に悪を感じてきました」
『トーキングブルース』で語りながら、ニュースを伝えながら、逃れられない不合理と向き合ってきた。その心境は今も変わらない。 「テレビで品川駅の港南口が映されれば人多いなと思う。でも、俺も『ゴゴスマ』(TBS系)のコメンテーターとして週1で名古屋に向かっていた(※現在は東京からリモート出演中)。『自粛警察バカじゃねえの。その時々の悪者を見つけて叩くなよ! 』と感じるけど、周りにマスクしてない人がいれば、『なんで付けないんだよ』と脳に浮かぶ。ブーメランで自分に返ってくるわけですよ。だから、いつも自分の悪をちゃんと見ておかないといけない」 誰しも、思い当たる節があるだろう。
「(緊急事態宣言中に)銀座で綺麗な身なりの奥様が『人出すごく多いですね。参っちゃいます。私たち買い物に来たんだけど』と街頭インタビューに答える。『あなたもその1人だよ! 』と感じますよね。人は、自分を輪の外に置いて客観的に見てしまう習性がある。これが、エゴと悪だと思う。ただ、マイクを向けられたからテレビ用のコメントを言っているだけで、100%の本音ではないはず。実は答えている人が悪いんじゃなくて、テレビが暗にそんな発言を求めている部分もある」 人はその場に適応して生きるため、常に矛盾を抱えるのだろうか。古舘は相反する気持ちをどう解消しながら、メディアで喋っているのか。
「……解消はできないですね。いつも自分の発言を俯瞰しながら、心の中で実況しているんです。『今、私は善100%で喋っております』とか『70%くらい悪を認めながらも、残りカスの善30%で喋っております』とか。人は、その時々で偽善者にもなれば、偽悪者にもなる。
『偽悪者ならば嫌われないというイヤらしい善も発動しております』と実況することもある。悪の中に善があり、善の中に悪があると思ってますから、全然解消できない。本当の悪を断つために悟りを開く修行なんて出来ないから、せめて自分の中の悪や善を描写することで、何とか免罪されようとしてるんじゃないですかね」