最新エンタメ関連情報抜粋 by結城洲央

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田村正和さん、芸に生き、芸に死す “ダンディー”貫いた77年

眠狂四郎」「古畑任三郎」などテレビ史に残る数々のドラマで存在感を放った俳優の田村正和(たむら・まさかず)さんが4月3日午後4時20分、心不全のため東京都港区の病院で死去したことが18日、分かった。77歳。京都府出身。葬儀・告別式は親族で行った。喪主は妻和枝(かずえ)さんが務めた。ニヒルな二枚目で、私生活をベールに包んだミステリアスなスターだった。  息を引き取ったのは1カ月前。自身の死もベールに包まれた。弟の俳優、田村亮(74)も一報を知ったのは亡くなった直後。田村さんの妻・和枝さんからの知らせに「ぼう然とした」という。  異変があったのは今年2月中旬。田村さんが入院したとの情報があった。本紙が親族に取材したところ、風邪のような症状で検査入院していたことが分かった。その際「本人と電話で話した時も元気そうだった。そんな大ごとではない」と語っていた。  晩年は病気との闘い。18年放送のフジテレビ「眠狂四郎 The Final」が最後の仕事。撮影後には、長く患っていた冠動脈性心疾患の手術を受け、周囲には「俳優はやりきった。もう十分にやった。もう昔のようにはできない」と説明。事実上の引退を伝えていた。  父は戦前からの大スターで「ばんつま」の愛称で親しまれた阪東妻三郎。4人兄弟の三男として生まれ、長男の田村高廣さん、四男の亮と並び「田村三兄弟」として知られた。  東京・成城学園高に通っていた1960年12月、高廣さんが主演した映画「旗本愚連隊」の撮影を京都まで見に行った際に勧められて出演したのがきっかけで、翌61年に松竹大船と正式契約。木下恵介監督の「永遠の人」でデビューした。「舞台はお客さんがいるから嫌。映画は時間がかかるし、舞台あいさつがあるから嫌だ。テレビはそれがない」。仕事のやり方が性に合っていたといい、やがてテレビを中心に活躍を広げていった。  72年「眠狂四郎」(フジ)などで正統派の二枚目、ニヒルなプレーボーイのイメージを確立。「役を固めていた僕をコメディーの世界に連れ出してくれた」と振り返る84年のドラマ「うちの子にかぎって…」(TBS)が転機となった。その後も87年「パパはニュースキャスター」(TBS)で、さえない父親役といった三枚目も好演。ますますお茶の間の人気者となった。  その集大成とも言えるのが、94年から放送されている「古畑任三郎」で演じたキャラクター。ニヒルさとコミカルさが絶妙に合わさり、多くの芸能人に物まねされるなど広く愛された。「自分にあんな芝居ができるなんてこれっぽっちも考えていなかったのを見つけ出し、新しい自分を引き出してくれた」。人と作品に恵まれた俳優人生ではあったが、田村さんの工夫と努力あってこその数々の当たり役だった。  あまり知られていないが、常に俳優田村正和でいるためのストイックな生活をしていた。田村さんをよく知る人によると、都内の自宅敷地内に母屋と離れがあり、家族と別々に生活。食事も1人で取っていたという。ともに食事をするのは年に1度、ニューヨーク旅行の時に限られた。  “ダンディーな独身男性”の雰囲気を保つため、ものを食べているところを人に見せないように会食もほとんどしなかった。テレビを主戦場にしながらも銀幕スターの香りを最後まで残した。自身の死すらも明かさず、その生涯を全うした。  田村 正和(たむら・まさかず)1943年(昭18)8月1日生まれ、京都市出身。代表作に「眠狂四郎」「古畑任三郎」シリーズ、「うちの子にかぎって…」「パパはニュースキャスター」「ニューヨーク恋物語」など。好きな俳優はアル・パチーノ。趣味は散歩。ビール党)